PROFILE
はじめまして、小林謙太郎です。
みんなからはコバケンと呼ばれています。
webデザイナー歴:10年。
都内Web制作会社やデザイン事務所を経てフリーランスWebクリエイターとして独立。企業サイト、EC、Webサービス、メディア運営、SNSなど様々な分野に携わる。
どうぞ宜しくお願いいたします。
MY STORY
なぜWebクリエイターになったのか、そして今、どのような想いで活動しているのか、今までの人生を綴りました。
【太字】のところだけ要約して読んでいただくとスムーズにご覧いただけます。
[目次]
名前に付けられた想い
小学校・6〜12歳
・絵を描くのが好き。
中学校・12〜15歳
・ゲームデザイナーになりたい
・母が亡くなる
高校生・16〜18歳
・インターネットに興味を持つ
・ホームページを作るのは楽しい
短大・19〜20歳
・IT系の短大へ。
・就職活動をやめる
21歳
・webデザイナーの学校へ
・初めて自分でお金をもらって人のホームページを作る
21〜24歳
・両親との決別
・web制作会社に入社、これでいいのかな????
・フリーランスになりたいと思う
24歳
・デザイン事務所に転職。そしてクビ、独立へ
25歳
・フリーランスになる、浮かれてそして不安の海へ
26-27歳
・自由とは何か?
・力を過信するのは恐ろしい。
・シェアハウスに住む。
27歳
・美容に興味を持つ
・LiME(ライム)というチームで学んだ3つのこと
・学びその1:伝えるということ
・学びその2:本気を出す
・じぶんの人生をじぶんで生きること
・家族とはなんなのか改めて考える
28歳
・フランス・パリに移転。
30歳
・一旦東京に帰国中(執筆中…)
名前に付けられた想い
「謙太郎」 謙虚に生きる
「謙虚」に生きなさいという思いでこの名前がつけられました。
途中の人生の中で自分は謙虚なのか?と思うこともありましが、自分で言うのもなんですが謙虚な方だと思います。
人生の中で自分自身の心の闇とぶつかる場面が幾度とありましたが、謙虚な姿勢や意識のおかげで乗り越えていくことができました。
【謙虚なこころ】
小学校・6歳-12歳
当時の写真

絵を描くのが好き。
小学校の時に好きだったのが絵を描くことでした。
美術の授業がとにかく好きで、絵をいっぱい書いてました。他の授業中でもとにかくノートに絵を描いていて絵を描くのがとにかく好きでした。
【絵やグラフィックに興味を持つ】
中学校・12歳-15歳
ゲームデザイナーになりたい

ゲームが好きだった自分は、この時からゲームデザイナーになりたいなと思い始めます。どうやったらゲームデザイナーになれるのか調べてみたところ圧倒的な画力が必要ということがわかりました。
絵を本格的に勉強してはしてみるもののいまいち続かず。
ゲームをするのは好きだったのですが、自分はゲームを作りたいのではなく【ゲームをプレイするのが】好きなのだということに気づきました。
そこで一旦ゲームデザイナーの道は閉じます。
【好きなこととやりたいことは違う】
母が亡くなる。
こころの闇が深まる。
自分が中学校3年生になった時に、母が自殺しました。
とても複雑な気持ちになりました。
「人生とは何なのか」と、ただただ立ち尽くす日々が続くことに。
この時に心の闇は更に深まります。
この時もじぶんの心の中の闇が深まっていたことに気づかず、後々の人生で大きく響いていくことになります。
【人生の不幸は突然訪れる】
高校生・16歳-18歳
インターネットに興味を持つ

この時からインターネットが盛んになってきます。
今まではTVで一方的にこちらが受け取るだけでした。しかしその逆で自分が発信したいと思ったらいつでも発信できるのはすごい!とすごく感激しました。
1日4時間くらい色々なサイトを毎日見たりして、インターネットにハマってました。
学校の授業でホームページを作る授業があり、没頭してました。
他の授業が退屈だった自分にとって、ホームページの授業はとても刺激的でした。
休み時間も時間を忘れ、ひたすらホームページを作ってました。
【インターネットに魅力を感じる。】
ホームページを作る授業
「ホームページを作るのは楽しい」

高校の授業でhtmlを使ってホームページを作る授業がありました。
他の授業が退屈だった自分にとってホームページの授業はとても刺激的でした。
自分がタイピングしたものが画面に出るというのがとにかく楽しくて、休み時間もひたすらホームページを作ってました。時間を忘れ、何時間でも没頭してました。
【ホームページ制作に没頭。今まで一番楽しい授業】
19-20歳
IT系の短大へ。
何となくで過ごす。

自分にはITが向いているなと思い、地元栃木のIT系の短大に行くことにしました。
その時は何も考えずに、授業を受けていたのですが、1年経って気付いたのがなあなあで授業が進んでいたということでした。
東京などの最先端の学校の作品や授業を調べてみると、自分の学校とはまるで違う作品がいっぱいあり驚きました。
自分の人生でなんとなく過ごしていればなんとかなると思っていたのですが、なんとなく過ごしていては自分の欲しい結果は得られません。
この時始めて、「なんとなく生きてたら自分の欲しい人生は描けないのだな」と強く思い始めるようになります。
【自分の人生は自分で決める。】
就職活動をやめる。
人生で最初の決断。
就職活動の時期になり、自分が何になりたいのか改めて考えた時になりたいのがwebデザイナーでした。
ホームページを作るスキルはあったのでポートフォリオを作り、色々な会社にwebデザイナー枠として応募しました。
30社ほど色々な会社を受けましたが結果は全滅。
担任の先生から諦めてどこか就職しておきなさいと言われますが私は諦めることができず、就職せずに独学で勉強をすることを決めました。
周りのみんなは次々と就職を決めていて私だけ決まっていない状態でしたが決めたら不思議とも不安はありませんでした。
【人生で初めて、覚悟を決める】
21歳
webデザイナーの学校へ
「自分の意思で自分の道を進むのは楽しい」


就職活動をやめてwebデザイナーになるにはどうしたら良いのか考えている時に、ピンと目に留まったのがデジタルハリウッドという学校でした。
何度か東京に見学に行ったのですがすごく最先端の技術や雰囲気が素敵でここでめちゃくちゃ頑張りたい!!という持ちが芽生え、通い始めました。
短大の「なんとなく」という環境とは大きく違い、真剣に技術を学びに来ている人ばっかりでとても魅力でした。
当時、スクールにはオールナイト制度というものがあり、オールナイトでずっと制作ができるいう環境があり、オールナイトで制作に没頭してたのがとにかく楽しかったです。
【今までで一番楽しいがっこう。】
初めて自分でお金をもらって人のホームページを作る
ご縁で昔通っていた学習塾さんと再会してそこのホームページを作ることになりました..
ミーティングの時に塾長がスクールのこだわりをキラキラした目で話してくれた時はとてもワクワクしました。
制作は地道なもので形にするまで時間がかかりました.
かつ塾長とも何度もぶつかりました。
ホームページを何回も作っては作り直し、累計500時間以上このホームページに費やしていたと思います。
2ヶ月という歳月をかかりましたが、ホームページが形になった時は、塾長もすごい喜んでいてとても嬉しかったです。
また実際に作ったホームページから受講生の申込や資料請求があった時は「おお〜〜〜!!!」と言いながらとにかく感激しました。
この時の制作体験が今までホームページを頑張っててよかったなと思います。
【今のしごとの原動力】

▽当時 (2007年)のホームページが今でも残っています。きちんと想いを持って作れば今でも残り、結果が出るホームページになります。
21-24歳
両親との決別
この時、父は再婚して、私には新しいお母さんができました。
新しいお母さんといっても、一緒に暮らしているわけでもないので母という感覚はあんまりありませんでしたが。
ある日、父に呼び出されます。
「あのな、縁を切ってほしい。」
???
「嫁がけんたろうのこと嫌いらしい。前のお母さんの子供だからって。」
「・・・はい。」
不幸にはすっかり慣れてしまったのか、ただただ受け入れることしかできませんでした。
こんな状況に慣れてしまった自分が怖いです。
この時から気づいてはいませんでしたが、
人生はこういうことが当たり前という感覚が自分の中に染み付いていきます。
web制作会社に入社、これでいいのかな????
あの就職活動はなんだったのかと思いながら、1回目の面接で受かり新しい会社への入社が決まりました。
ワクワクした気持ちで念願のweb制作会社に入社。
しかし実際は会社での仕事はとてもハードで、朝10時から出社して23時に仕事が終わります。仕事して帰って寝るだけという生活です。
仕事とはこんなものなのかな?と疑問を感じながら日々は過ぎて行きます。
【働き方・やってることに疑問を覚える】
24歳
デザイン事務所に転職。
そしてクビ、独立へ
転職したのは少人数のデザイン事務所に転職しました。
すごい暖かい雰囲気の会社で色々なことを経験させていただきました。
入社して半年ほど経ったある日、面談で「クビ」を言い渡されます。
会社の求めるものと自分のやっていることが大きくずれていたみたいでやむをえなくやめることになりました。
「独立をするはずだったのだけどクビになってしまった。」
「どうしよう。。。。」
ものすごい罪悪感に悩まされる日々が続きました
クビになって翌日、Oさんに相談しに行きました。
Oさん:「フリーランスになっちゃっていいんじゃない?」
えっ?その言葉に驚きましたがよくよく話を聞いていくと
うまくいかなかったら最悪をバイトをすればいい。
実はフリーランスになれる環境は揃ってました。
すっと背中を押されてすぐに開業届けを出しに行きました。
【2年はかかると思った独立が半年で実現】
25歳
フリーランスを始める。
フリーランスwebデザイナーとして活動し始めました。
フリーランスのお仕事はとてもやりがいの大きいもので、毎日がとても楽しい日々でした。
フリーランスの活動の中でとにかく色々なことをやってみました。
・Webサイトを作る講座を企画する
・自分で新規webメディアの立ち上げ
・旅に出てみる
当時、制作させていただいたホームページ

26-27歳
自由とは何か?
フリーランスになったらとにかく時間が自由でした。
好きな時に好きなことができる。
とにかくフリーランスになったのが楽しかったので、キャンプに行ったり、海外に行ったりやってみたいなと思うことは全部やってみました。
全部やってみてたのですが、なんかイマイチしっくりこなく。
タイ旅行でのぞうさんに乗りながら思ったのですが、時間があれば自由ということではないということに気づきました。
この時から「自由とは何か」というテーマについて考えるように。
【自由とは何か?】

力を過信するのは恐ろしい。
フリーランスになり、当時周りからは独立すごいねー!と周りから声をかけられることが少なくありませんでした。「じぶんはすごいんだ!」と思うようになり自信がついてきました。
浮かれていた自分は自分自身に過信するようになり、どこか途中で地に足がつかない感じになっていました。
途中から仕事がうまく回らなくなりお金に苦しむこともも多々あり、調子をのりすぎることはよくないと反省。
【反省。】
シェアハウスに住む。
第二の家族。

この頃からシェアハウスに住むことに。家族がいない僕にとっては家族のような存在のシェアハウスです。
【家族のようなシェアハウス】
27歳
美容に興味を持つ。

ファッションにまったく関心がなかったのですが、二人の恩師の出会うことで、自分のセンスが磨かれていきました。(まだまだ勉強中です。)
美容に興味を持ち始めることで人生のきっかけが変わります。
LiME(ライム)というチーム


美容に興味を持ち始めてから、美容ITのLiME(ライム)という会社のビジョンに惹かれ、フリーランスを兼業しながらプロモーションマネージャーとして働くことになりました。
この会社で人生でデザイナーとして大切な二つのことを学びました。
学びその1:伝えるということ
よく代表のずまさんさんから「デザインが相手の視点に立てていない」とご指摘を頂いていました。
「このホームページは何万人もみるホームページなんだ、言葉の使い方一つで勘違いさせたり、ストレスになるかもしれない。しっかり相手の視点に立って作る事が大事なんだ」
その言葉にハッとされ、自分の中で制作をしているつもりが自分よがりのデザインになっていることに気づきました。
「相手のことを考えているつもりで考えていない。」
「自分の中では考えているつもりだったのですが、まだまだ相手目線に立てていない。」
「デザインはクリエイティブなことでなく相手を思う気持ちから始まる。」
自分よがりのデザインから目が覚めたきっかけでした。
学びその2:本気を出す
フリーランス人生でこれまでそれなりに上手くやってきたつもりだったのですがLiMEに入った途端、怒られることや指摘されることが多々ありました。
「なんでこんなに注意されるのかな」とずっと考えたりしているとあることがわかりました。
それは自分が「本気」になっていないということです。
代表のずまさんは仕事のことにいつも真剣。一切1%も手を抜かない職人です。
自分は1%でも手を抜いたらずまさんは見抜いてきます。
・本当にそのことを真剣に考えているのか?
・余計なことに意識がいっていないか?
そうして自問自答していくうちに気づいたのが自分が本気を出さないのは
「本気を出してうまくいかなかったら自分の存在価値なんてない。」
という潜在的にある恐怖感でした。
「本気を出す」
それは自分と向き合う勇気がいることなのかもしれません。
「常に本気なのか?」
代表のずまさんは本気とは何かということを教えてくれました。
じぶんの人生を
じぶんで生きること
LiMEで働いていくうちに、自分は自分の力でやっていきたいと思いが強くなり、プロモーションマネージャーのポジションを降りることになりました。
ファウンダーとしてのポジションは退任しましたが、業務委託として今でも関わっています。とても素敵なチーム(会社)だなとおもい関わらせていただいています。


家族とは何なのか?
家族とは改めて何なのか考えたこと。
28〜30歳
執筆中。。。