お母さんに初めて「ありがとう」って思えたこと。
先週の3月6日(日)は12年前に亡くなった母の誕生日でした。
母に対しては色々思うところがあるのですがこの年まで「ありがとう」って思えることがなかったんです。
最近ようやく心の底から「ありがとう」と思えるようになってきました。
これまでの母との関係や当時、自分が感じたことを素直な気持ちで書いていきたいと思います。
※去年1月にstorys.jpに書かせてもらったお話を今の心境に合わせて加筆したものです。
生まれる〜10歳:母の存在が嫌いだった。
自分は1988年に栃木にて生まれました。
一人っ子。
落ち着きがなく色んなことに挑戦。一人で遊ぶのが好きで色々探求熱心でした。
一人で変わったことをしていたので浮いてた印象だったようです。
当時、自分には疑問というか嫌だなぁと記憶に残ってたことがあります。
それは母です。
自分は変わった資質を持ち、変わった感性を多く持っています。
当時の母からするとその資質が異常に見えたようでなんとかしないと!って思ってたみたいです。
その頃から自分に対して勉強を強要したり他の人と違う部分が目立っていた部分を直そうと一生懸命になってました。
当時僕がポケモンのキャラが好きでポケモンの絵をひたすら書いていたのですが母には認めてもらえずそんなことより勉強しなさい!といわれすごくショック。
やはり両親に従うのが大事なのかなととぼとぼ一人で泣いてました。
自分の記憶にはないのですが、精神科につれてもらったこともあるらしく「自分はおかしいのかな?」
とただただ空しい気持ちでした・・・・。
母の心境からすると一人前に育ててすこやかに育ってほしいみたいでしたが、
当時の自分からすると本当に迷惑でしかなかったです。いつになったらひとり暮らしができるのかな。
・母親は本当に迷惑でしかなかったし、早く消えてほしい。
・この頃から上の人の言う事をきかないと自分は価値がないと思い始めるようになります。
10歳〜11歳:両親の離婚
8歳くらいの頃から”なんとなく”肌感覚で感じていたのですが、両親が仲が悪いんじゃないかって感づいてました。
予想は的中し、僕が10歳の頃にやはり両親は離婚しました。
当時の自分からすると家族というものは離婚するのが当たり前なのかな?と思いで特に不思議に感じずそのまま眺めてました。
当時母よりも父親の方が好きでした。
しかしながら厳しい母のほうに引き取られることになり、自分としては憂鬱しかない状態でした。
・親というものは仲が悪いし、そもそも離婚が当たり前なのかな?という価値観をもつようになる
・結婚なんて意味がないのでは?
11歳〜12歳:希望の再婚
母の教育が厳しいのをしぶしぶと受けつつ、半年たたないうちに母は新しい人と再婚しました。
新しい父はなんだか優しそうな人で、母の教育に対して「厳しすぎるんじゃないか?」と口出しをしてくれる姿に自分は希望を抱きました。
「やった!新しい父さんはすごい優しい人だ!」
人生がすごくキラキラ輝いた瞬間。
ここから人生がとても楽しくなるのかなと希望を抱きました。
・父親にも色んなタイプの人がいることを知った。
・人生に希望が持てるようになる。
12歳〜14歳:【人生の黒歴史】逃げ場がない
父の仕事の関係で静岡県に引っ越すことに。当時の友達と分かれる事はさみしかったですが新しい友達に出会えるのもワクワクです。
しかし、この静岡は僕にとっては黒歴史でしかありません。
変わり者だった自分は静岡のクラスで浮き、いじめの対象になりました。
学校にいけばものを隠されたり、陰口を言われたり疎外感がとても辛いものです。
学校でいじめを合うだけだったら家に避難すればいいことなんですが、
母の機嫌がとても悪いのです。
後から分かった話なんですがこのとき母は鬱にかかっていてとても情緒不安定で僕にあたってきます。
母がとても怖いのでいじめの相談なんてできません。
学校に親友がいるわけでもなく、学校にいけばいじめにあうし家にいけば鬱の母が自分に当たってくる。
人生の安らぎはあるのかな?と自分も鬱にかかるんじゃないか?と精神的にとてもキツかった。。。。
唯一のやすらぎは下校してるときで学校に戻りたくないし、家に戻りたくない。
そんなことを下校中毎日考えてた。
・この時は本当に死にたかった。
15歳:奇跡!栃木へ引っ越し
祈りが通じたのか父の仕事の関係で栃木に引っ越すことになりました。
栃木に行けば前の友達がいるし少なくともいじめはなくなるだろうと思いホッとしました。
栃木は優しく受け入れてくれて学校生活はとても楽しいものでした。
・人生は案外ころっと変わったりするものでもある。よくも悪くも。
15歳:母の死、涙が出ない葬式。
しかしながら母は一向に体調も期限も悪いです。
母のとなりにいるとなんか攻撃されるんじゃないかと思い、無意識にひたすら避けてました。
そんなある日帰ってくると
机に一通の手紙が残されてました。
。
。。。
。。。。。
読んでみるとそれは【遺書】
背筋が凍り付きました。
急いで親戚や父に電話しましたが、とりあえず落ち着いて待っていてくれと返答が帰ってくるばかり。
何を落ち着けばいいのかよくわかりませんが病院へ行き母の遺体を目撃することに。
みんなは涙を流してえんえんと泣いていました。
ただそこで自分が衝撃的だったのが、、、
「これでもう母に怒られてなくて済むな。。」
はっなんてことを考えているんだろう。。。。
と思った自分が本当に恐ろしかったです。
本当に涙は出てきませんでした。そこにはホッとしている自分がいました。
周りからは「強く生きてね」と涙を流されながらいっぱい声をかけられました。
が自分からしてみると亡くなってよかったかもしれないと思う気持ちと、
自分はなんて親不孝なんだろうという気持ちがただただ葛藤するばかり。
・もはや人生とはなんだろうと思い始めるが、とりあえず生きるしか無いと思った。
・ただただ、思考は停止するばかり。
16〜20歳:平凡に過ごす。
栃木の中学校を卒業し、新しい父の実家である茨城に引っ越しました。
父は忙しくあんまり会話することはありませんでしたが学校は楽しかったし、
家に帰ればおじいちゃんおばあちゃんもいたし特に何事もなく無事高校生活を送れました。
高校時代〜専門学校は今までの人生の中で一番平和だった
21歳:再び再婚
webデザイナーとして東京で就職し、働き始めました。
働き始めてから半年後、父から再婚の連絡があった。自分にとっては新しいお母さんである。
とても優しそうな人だった。
家系図的にいうと今の両親関係は全く血がつながっていない構成になっている。
血のつながりとかは自分は気にしないほうだったので、
父にとっても新しい奥さんができたのは喜ばしいことだった。
22歳:一人になる。
ある日実家から電話があった
父「あのな、新しいお母さんがけんたろーのこと嫌いみたいなんだ。前のお母さんの子供だからって。」
父「それでな、縁をきってほしいんだ。家族として」
心が凍り付いて何も考えたくない。
自分「うん、わかった。」
人生なんてこんなもんだと自分の中に言い聞かせていた。
感情なんてもはやフル無視。
感情をいちいち考えていたら自分の人生なんて生きていけない。
嫌な感情が出ても抑えていないといけないんだ。
やっぱり親なんてあてにならない。
本当に一人で生きていくしかないんだな。
そんな風に考えていた。
・本当に一人になる。
・悲しんでいる場合じゃない。頑張らないと。。。!!
23歳〜:仕事がしんどい。人生がしんどい。
ここからさらにキツい場面が続きました。
仕事ができないレッテルが貼られる。安月給。過労働。
自分なりに頑張っていたつもりですが、周りからは空気が読めない扱いをされたり、
同期から抜かされる一方。
また人の顔色を伺いながらビクビクしていました。
仕事とはこんなに辛いものなのか、でも生きるためにはお金を稼がなきゃ。
・自分のセルフイメージが低いと仕事でも苦労するみたいでして、実際本当に苦労しました。
24歳〜:憂鬱なお盆、年末。
お盆や年末になるとみんなは実家に帰る話題が出る。
自分には帰る場所が無い。
この手の話題になると明るいふりを保ってはいるが心の中はとても辛かった。
家族はもはやデフォルト【いない設定】
24歳〜:解決策があるのでは?色々な書籍や勉強会に出る
人生を変えたい!このままだと幸せになれない!
自分の人生に不満を持っていた自分は幸せを探し求めていた。
色んな本を読みあさったり自己啓発のセミナーにいったりしていた。
セミナーにいって仲間ができたり知識を身につけたりした時は
とてもいい気分だった。
なんだか強くなった気分だった。
でもそれは少しだけのこと。
時間が経ったらなくなるなるし
厳しい現実は何も変わらなかった。
なんとなく違うことは感じていたけど、
自分を変えるのをとめてしまったら未来はない。
・解決策はないのでは?
25歳:母は愛していた???
「母はどういう人だったのだろうか。」
家族についてふとそんな疑問がわき上がってきました。
気になった私は親戚の人たちを訪ねて色々聞いてみることにしました。
[親戚の人]あーお母さんねー。とても人あたりがよく素敵な人だったよー。
けんたろーくんの事大事にしてたよー。
え、大事にしてた?????
そんなわけがない。
あの恐ろしい母親が自分を大事にしていたなんて信じられない!
ですがみんなに聞くと同じような答えが返ってくる。
[自分]あのー、お母さんは僕のことをいつも怒っててとても大事にしてたとは思えないのですが。
[親戚の人]お母さんはけんたろー君を一人前に育てたかったんだろうねぇ。。。あの人は必死だったんだよ、きっと。いつも大事そうに育てていたよ。
そうか。
お母さんは自分のことを大事に思ってたんだ。
ただ、立派に育てたいと思いが空回りしてただけだったんだ。
ポカーンと途方にくれました。
ただただ、不思議な気持ちになりました。
それから1年半。
母は自分のことを大事にしていた。
その事実を受け入れるまで時間はかかりました
が、ようやく肚に落ちた感じがします。
ずっとグジグジ何を悩んでいたのだろう。
今の環境の豊かさに気づく
ずーーーーーーーーっと「自分はなんて不幸なんだ」
っていう思い込みが強かったのですが、幻想が解けた瞬間に今の環境の豊かさに気づきました。
・やりたい仕事ができていること。
・住みたいところに住めていること。
・健康な体があること。
自分はとても弱いです。
小さいことですぐ挫けるし、できないこともとても多い。
周りに素敵な人たちがいて、助けてくれることでとても楽しめています。
心から本当にありがたいなと思うばかりです。
今までとても素晴らしい環境にいたにもかかわらず豊かさに気付けなかった自分が恥ずかしい。。。。
愛されてたことがわかってからから変わったこと。
自分は可哀想、不幸っていうのは全部思い込みだったんだなと気づきました。
無理してポジティブになるのではなく、ただありのままの事実を確認するだけで被害妄想はなくなることに気がつきました。
・可哀想はすべて妄想
家族について
今は戸籍的には一人ですが昔の父親とも連絡取り合っています。
最初は複雑な気持ちであったり慣れないことの連続でしたが仲良くやっています。
一番最初のお父さんも再婚されて元気にされています。
家族とは何なのか?と聞かれると答えは出てきません。
これから作っていくもの、気づいていくものなのかなと思います。
これからの生き方。
漠然とですが、自分の命・魂を100%使いきれる生き方をしたいなと思っています。
仕事、遊び、恋愛、家族。
前向きな姿勢というわけでもなくただただ淡々と、そういう風な意識です。
お母さんへ
生きてる時には伝えられなかったけど
育ててくれてありがとう。
産んでくれてありがとう。
精いっぱい人生を楽しみます。